「ねぇ、またお風呂の水、流れなくない?」 妻のその一言が、我が家の週末に静かな嵐を巻き起こす号砲となりました。浴槽の排水詰まり。水回りを排水口専門チームに江戸川区から配管を、どこの家庭でも起こりうる、ありふれた生活トラブルのはずでした。しかし、この些細なきっかけが、私たち夫婦、そして思春期の娘と息子の間に横たわる、価値観、責任感、そしてコミュニケーションの断絶という、より根深く、見えない「詰まり」を浮き彫りにするとは、その時誰も予想していませんでした。これは、詰まりの「直し方」を巡って繰り広げられた、ある家族のドタバタ劇であり、同時に、家族とは何かを再確認するまでの、ささやかな物語です。 最初に口火を切ったのは、合理主義者でコスト意識の高い私でした。「よし、今回こそは業者に頼らず、俺が根本的に解決してみせる」。私は意気揚々とホームセンターに向かい、高圧洗浄も可能だと謳う、少しプロ仕様のパイプクリーナーワイヤーを購入。インターネットで使い方を予習し、ヒーロー気取りで浴室に向かいました。しかし、現実は甘くありません。ワイヤーは配管のカーブで何度も引っかかり、無理に押し込もうとすると、嫌な音を立てて壁の向こうに響きます。格闘すること一時間、ヘドロまみれになりながらも、成果はゼロ。私のプライドは、排水口のぬめりと共に、みるみると溶けていきました。 そんな私の姿を冷ややかに見ていたのが、現実主義者で安全志向の妻でした。「だから言ったじゃない。下手にいじって配管を壊したら、もっと高くつくのよ。こういうのは、さっさとプロに頼むのが一番賢いの」。板橋区には配管交換した水道修理に彼女の正論は、私の失敗も相まって、ぐうの音も出ないほどの説得力を持ちます。彼女にとって、時間は有限であり、お金で解決できる問題に、素人が不確実な労力を費やすことは、非合理的でしかありません。スマホで手際よく業者を検索し、口コミを比較検討し始める妻。その姿は、私の無謀な挑戦を静かに断罪しているようでした。 一方、この騒動を遠巻きに眺めていたのが、環境問題に意識の高い高校生の娘です。「っていうか、そもそも、そんな強力な薬品とか使って大丈夫なの?それが川に流れて、環境に悪いんじゃない?」。彼女の視点は、私たち夫婦が全く考えていなかった、より大きなスケールの問題提起でした。彼女は、重曹とお酢を使ったエコな方法を提案しましたが、既に状況が悪化している我が家の排水管には、もはや焼け石に水です。「まずは地球より、我が家のお風呂を何とかしてくれ」と心の中で叫ぶ私。世代間の価値観のギャップが、排水口を挟んでくっきりと浮かび上がりました。 そして、この議論に全く興味を示さなかったのが、マイペースな中学生の息子です。「えー、お風呂入れないの?じゃあ、今日の部活の汗、どうすんの」。彼にとって重要なのは、詰まりの原因でも、直し方でも、環境問題でもなく、ただ「今夜、自分がお風呂に入れるかどうか」という、極めて個人的で、しかし切実な問題だけでした。彼の関心のなさは、一見すると無責任に映りますが、同時に、家族という共同体の問題が、個人の日常にどう直結するかを、最もストレートに示していました。 業者を呼ぶか、自力で頑張るか。コストか、時間か。即効性か、環境への配慮か。それぞれの正義がぶつかり合い、リビングの空気は、詰まった排水管のように淀んでいきました。その時、沈黙を破ったのは、意外にも妻でした。「もういい。みんな、一旦落ち着こう。詰まってるのは、お風呂だけじゃない。私たちの頭の中も、会話も、全部詰まってる」。 その一言で、私たちはハッとしました。詰まりを直すことばかりに躍起になり、誰が悪い、何が正しいと、互いを責め合っていたことに気づいたのです。私たちは、その日の夜、久しぶりに食卓を囲み、「我が家の排水管を救うための家族会議」を開きました。私は、自分のプライドが無駄な労力を生んだことを認め、妻は、コストだけでなく家族の協力も大切だと考え直し、娘は、理想だけでなく現実的な解決策も必要だと学び、息子は、自分のことだけでなく家の問題にも関心を持つきっかけを得ました。 結局、私たちはプロの業者に依頼することに決めました。しかし、その決定は、単なる問題解決の選択ではありませんでした。それぞれの意見を尊重し、対話し、家族全体として最も納得できる結論を導き出す、というプロセスを経た、我が家の「合意形成」の第一歩だったのです。 翌日、業者の高圧洗浄によって、長年の汚れはあっけなく洗い流されました。しかし、私たち家族にとっての本当の収穫は、浴槽の流れが戻ったこと以上に、家族の間の風通しが少しだけ良くなったことでした。あの日以来、我が家では、ヘアキャッチャーの掃除は、気づいた人がやるという暗黙のルールが生まれました。浴槽の詰まりは、確かに厄介なトラブルです。しかし、それは時として、家族が互いの価値観を理解し、歩み寄るための、思いがけないきっかけを与えてくれるのかもしれません。